再々発した神経芽腫。生存率わずか数%という厳しい状況でも、諦めずに生きる為に戦うちひろさんとご家族。
ちーちゃんの事を知った時、私は理屈抜きでお支えしたいと思いました
ただ、敢えてその理屈無き思いを言語化するとしたらどうなのか?その言語化にも意味があるのではないかと考えました
ちひろさんを巡る物語は、人間の可能性に賭けた力、諦めない心を学ばせてもらえます。また、現代の社会的風潮が引き起こす問題と、それを乗り越えようとする家族の奮闘を見る事が出来ます。
私は、ちひろさんの事を知り、物事を深く考え、新たな事を知るきっかけになりました。
ちーちゃんを救う事は、技術面でも感情面でも、大きな意義があると考えています
数の論理やコスト面でどうだと言う人がいます。それも1つの意見としてあってもいいと思います。正直かつて私も、同じ疑問を持った事はありました。
私はこう考えます。長期的に見ると、数の論理やコスト面でも意義が大きいと思うのです。
人間はこれまでも、治療例を重ねて重ねて、医療を進歩させて来ました。例えば、結核などが不治の病でなくなったのは、研究者の功績が大きいのは勿論ですが、副作用のリスク覚悟で治験に身を投じた患者さんの協力無しには成し遂げられませんでした。
神経芽腫は小児がんの一種で、日本で年間100~150人が診断されると言われているそうです。神経芽腫のCAR-T治療というのは、高リスクの患者さんに対して行われ、日本では認可されていません。今は海外での自費治療になります。これを、ちひろさんが治療例を作る事で、今後同じ或いは類似した病気を抱える人達の命を救う事になると思うのです。この国を取り巻く医療制度にも踏み込んだ問題提起が出来ると思います。
助けを求めるのは決して弱いからではありません。助けを求めるのは勇気が要ります。批判されるかも知れない…甘えるな、人を頼るな、そんな社会的圧力は未だに強くあり、助けを求めることが否定的に捉えられがちです。自己責任論や競争主義が根強くあります。特に日本には「人に迷惑をかけるな」という暗黙のルールが文化的風潮としてあり、それが批判を増やす理由にもなってます。そんな過酷な社会の中で親御さんは、誰に何を言われるか分からない、傷付くかも知れない。そんなリスクを背負って、勇気を持って助けを求められているのです。HPの文中にも「祈るような気持ち」「ためらいがないわけではない」とその心情が現れてます。また、ちひろさんの写真や実名を出して支援を求めるという決断には迷いもあったでしょう。ちひろさんの将来への影響も考えたと思います。更に、慣れない国での生活、言葉の違いだけではなく、食べ物や生活習慣の違いにも立ち向かわれました。治療管理に当たって言語障壁を突破する親御さんの粘り強さ、ちひろさんが言葉が通じない環境で感じる不安や孤独感を和らげる為の親御さんの努力。何としても我が子を守ろうとする親の深い愛、覚悟と勇気、とても美しいです。
親御さんは、ある批判的なコメントをされてた方にこう語りかけておられました。「どんな命も尊い。」「今は目の前の我が子を守る事に全力を尽くす」
この言葉にはずっしりと重みがあります。
フォロワーさんや支援者の方は、命の重みを誰よりも深く考え、批判や傷付くリスクを背負いながらも我が子を救う決断をするという、子を守る親としての責任を果たそうとする親御さんの価値観に心動かされたのではないでしょうか。
ちひろさんが受けているCAR-T治療は、強い副作用を伴います。「インフルエンザの10倍の辛さ」と表現される事もあるようです。高熱と体中を波打って襲ってくる痛み、心拍数が常に150越えという強烈な症状です。いつ終わるか分からない副作用、想像出来ますでしょうか?
大人でも耐え難い症状と、11歳のちひろさんは戦っているのです。生きる希望を捨てない為に、ちひろさんの命を諦めまいと戦う親御さんの為に。
こんなちひろさんの驚異的な強さ、深い愛と勇気の物語
ただの「人間の生きる強さ」だけでは言い表せないものがあります。
こうしている間も、遠い空の下で、ちひろさんは頑張っている
そう思うだけで勇気が湧いてきます
「出来る人とは、何でも一人で出来る人ではない。必要な時に頼れる人である」
そう思います。頼る事は迷惑ではありません。助けたいと思い、支援の手を差し伸べる事を迷惑とは思いません。「甘えるな、人に頼るな」という風潮が強いこの社会で、「頼ってもいい、助けを求めてもいい」という風潮を作り出す事は、多くの人達が生きやすい社会作りに繋がると思います。また、必要な人が必要な医療を受けやすくなる為の制度改正を図る流れにもなると思うのです。
ちーちゃんを救う会さんの活動は、子供達が安心して過ごせる未来を作りたいという、子供が安心安全な社会を目指す会の理念とも通じます
文責:星城優月
2025.11.24